せきたか通信 WEB版 No.6
[2004年]
発 行 日 平成17年 6月吉日
最終更新日 平成17年 6月13日


 昨年の中越地震では、被害の大小は別にして市民全員が被災者となりました。衷心よりお見舞い申し上げます。また、多くの市民の人生に影響が及んだことと推察いたします。
 思い起こせば、現代社会は人間同士・人と社会・人と自然のつながりを断ち切ってきましたが、この震災によってそれらの「つながり」の大切さが認識されたと感じています。今後は、災い転じて福となすように、復活の兆しが見える「つながり」や「優しさ」を柱とした地域づくりに努力してまいります。

〜持続可能な社会の実現
広げよう長岡から〜
【公約】 ■財政の持続性
■地球環境の持続性
■心(人間性)の持続性
■政治システムの改革


その1震災時の行動
 「地震の時、議員はどんな行動をとっていたのですか?」との質問を何度か受けました。市民から見て、市職員の行動は見えていたのでしょうが、議員の行動は見えづらかったのかもしれません。

 私は、隙間を埋める仕事をしていました。例えば、地震直後の避難所と災害対策本部の隙間です。避難所には対策本部の情報(全体の情報・見通しの情報)が不足していましたし、対策本部には避難所の現場情報(情報というより生の雰囲気)が伝わりにくい状況でした。また、本部には支援物資が届いていましたが、荷受け・仕分け・搬送といった物流体制が追いつかず、避難所になかなか支援物資が届かないといった状況も発生しました。そこで、本部と避難所を何度も往復し、情報伝達や物資の搬送を行いました。同じように、避難所に避難した方と、自宅や路上で生活していた方との隙間(格差)や避難所同士の隙間などを埋める作業に多くの時間を費やしました。それ以外にも、家が傾いた方への手当て、炊き出しの手伝い、実状把握と対策など、様々な活動を行いました。そして、この活動から得た私なりの教訓を基に、12月議会で一般質問をしました。


その2 無所属議員 再び一人に

 2年前の市議会議員選挙の後、3人の新人議員が会派に所属しなかったため、私を含めて4人の無所属議員が長岡市議会に誕生しました。その結果、議長選挙・海外視察問題・議会内民主制の問題(*1)等を通して、議会活性化や問題提起に一定の成果が挙がったものと考えています。4人の無所属議員は、長岡市議会に対する共通の問題意識を持っていましたが、私を除く3議員は「問題解決のためには会派が必要」との考えに至り、新会派結成(無所属クラブ)もしくは既存会派入り致しました(*2)。ただ、先程申し上げましたように共通の問題意識を持っていますので、立場が異なった今でもこれまで同様のお付き合い(情報交換や協力)は続いています。

 市民の皆さんと話をすると、現在の市議会に満足している人は非常に少ないことが分かります。(そもそも現代社会自体に満足している人が少ないのですが)

 私は、議会活性化のためには無所属議員が増えることが必要と感じていますので、しばらくは無所属を貫きたいと思います。

*1 「民主」を辞書で引くと「自由と平等」であり、多数決ではない。
*2 会派の説明と問題については、これまでの「せきたか通信」をご覧下さい。

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