駒形豊のデジタル日記

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3月26日(火)
第四銀行経営者の会
第四銀行の経営者の会に参加。飯野頭取来るからぜひ出て下さい。と担当の夏井さんい言われて参加。少し遅れて参加したが相変わらずの盛会だった。



3月20日(水)
糸魚川詣で

糸魚川にはこれで3回目になる。(富山との)県境のドライブインで年輩の御主人から、「ここから長岡へ行くのは、ここから富山(市)に行くのより遠い気がする」と云われたが、確かにこの新潟県は長くその最西の町だ。


日本海を左に見て/親不知ビアパーク附近

一件の訪問後、糸魚川での唯一の美術館とも言える『谷村美術館』に寄る。責任者の谷村さん(谷村建設社長夫人)と久しぶりに会い旧交を暖める。紅葉も良いが5月、6月の新緑の頃が良いので又来て下さいとのこと。澤田政廣の木彫の美しさに今さらながら感心する。設計は著名な村野藤吾氏。


美術館外観。シルクロードの砂漠に忽然と現れる遺跡のイメージ


最も人気のある『曼珠沙華』不思議な祈りの世界に導かれる



3月9日(土)
TAMAKI会主催講演会
宮内TAMAKI会と長岡献血友の会主催の文化講演会が長岡丸専で行われ、脇屋雄介講師の「米百俵ーそのうらばなし」が講演された。脇屋先生は、初めは、皆さんとおさらいする気持ちで、と云っていたが途中。いや最後の所で熱弁をふるい、大きな盛り上がりとなった。その後の懇親会も熱気を帯び、更に脇屋先生、田所仁氏、市役所環境部長の会田氏などと2次会にまで参加したのは飲み過ぎかも知れない。因みに宮内TAMAKI会は、田中真紀子を応援する長岡宮内地区の組織名で会長は高木氏、長岡献血友の会もほぼ同じメーンバーがリードしており長岡におけるNPO法人。事実上の事務局は宮内の佐藤印刷所(株)で行っていると思う。



3月6日(水)
立川病院総会と懇親会
立川病院(正しくはメディカルセンター)に参加する。大洋酸素の佐藤社長、葵屋画材店の本間さんなど旧交を暖める感じ。2次会は安達内装店の社長と一軒寄る。彼も5月に60(還暦)になる。と云ったような気がする。少しびっくりするが、若い気持ちで頑張りたいと私自身はそう思った。3月7日(木)糸魚川出張たまには県の西方面を車で走りたい。そんな気持ちで車で糸魚川出張を思い立ったのだがドシャブリの朝出発。2件の訪問はそれぞれ有効訪問だと感じてホッとした気持ちになった。旧知の本町の骨董店を覗いてみたくなった「富江洗心堂」を訪ねる。御主人は近くの「アートサロン洗心堂」にいるとの事。洒落た塀を廻り瀟洒な一軒家にゆっくり美術品を数少なく配置してある配慮は嬉しい。


アートサロン洗心堂

洗心堂さんは、陶器磁器などの壷、碗、皿に良いものがあり、糸魚川の土地柄で、相馬御風、澤田政廣、北村四海、バーナードリーチ、富本憲吉などを扱い叉詳しい。富山の森社長(ヘリコプター会社の社長らしい)とのお話の席に割り込ませて頂いた感じである。帰途海岸べりを車で走る。ワイパーが絶えず動き、視界の左に広がる濁った緑色の波が左から右に白い波頭をいつまでも岩礁に軋ませ、打ちつける様が今日の気分にあう。いつまでもそんな気分で冬(春には未だ遠い)の海を見ていたく私は、高速に直ぐ乗らず上越まで海岸線を走った。洗心堂さんは、陶器磁器などの壷、碗、皿に良いものがあり、糸魚川の土地柄で、相馬御風、澤田政廣、北村四海、バーナードリーチ、富本憲吉などを扱い叉詳しい。富山の森社長(ヘリコプター会社の社長らしい)とのお話の席に割り込ませて頂いた感じである。帰途海岸べりを車で走る。ワイパーが絶えず動き、視界の左に広がる濁った緑色の波が左から右に白い波頭をいつまでも岩礁に軋ませ、打ちつけ
る様が今日の気分にあう。いつまでもそんな気分で冬(春には未だ遠い)の海を見ていたく私は、高速に直ぐ乗らず上越まで海岸線を走った。


道路から見える糸魚川のながめ


3月3日(日)
遊食会イベント
殿町知味亭で行われた「遊食会」のイベントが行われ、中国人の留学生の参加。山古志村の白菜の提供などいろんなことがごっちゃになった交流の会だった。豪華な中国料理を頂き、日本酒、しょうこう酒を頂きできあがった。昼から酒を飲むのだからリッチなもの。頑張った川上君はじめ皆様の努力に感謝。


森市長と中国人留学生の合唱

ダイエー今後問題
長岡ダイエーをどうするかの問題については、第一次の撤退リストにはなく第2次の撤退に入る可能性があった。2月27日に田中直紀参議院議員も長岡の越後交通役員会に参加してこのことが話し合われたが、関係者の話を総合すると、底地を有する越後交通にたいしてダイエー側が期限の更新時期にあたり、大幅な値下げを要求していた模様。これに対して越後交通はその案を受け入れの解答をした。とのこと、これを私は、3日森市長よりの伝言で聞いた。


取り敢えず存続の決まった長岡ダイエー


3月2日(土)新潟市内近郊訪問
小柳専務理事宅に伺う
長岡市の商工会議所専務理事を長くやられた小柳さんの自宅豊栄に伺う。景気は悪くなる形が続くと云うことをいっておられた。日本が中国の工賃にかなわない。未曾有の国難であるという認識は厳しい、ものである。

午後新潟市内野の樋木酒造に伺う。
今は不況ではなく、これから超下降の厳しい時代がくる。あるものは文化だけであり、文化で勝負すべきである。という持論を展開。御自宅に博物館の標識を打たれ、今後時間をかけて整備するそうである。



博物館の表示


代々伝わるお雛様

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